沿道から容赦なくかけられる清め水を浴びながら走る男たち=2025年2月11日午後3時22分、岩手県一関市大東町大原、小幡淳一撮影

 防火や厄払いなどを願い360年以上続く奇祭「大東大原水かけ祭り」が11日、岩手県一関市の大東町大原で開かれた。県内外から集まった179人の男たちが「清め水」を浴びながら、大声を上げて約500メートルの大原商店街を駆け抜けた。

 祭りは1657(明暦3)年に起きた江戸の大火災をきっかけに始まった。江戸城の天守閣が焼け落ち、江戸幕府は全国に火防令を発した。

 大原地区では翌年から、旧正月に近くの川で身を清め、火防を祈願し始めた。その後、走ってくる男たちを迫る炎に見立て、水をかける防火演習に発展。水で清めて厄を落とす祭りとして定着したという。

 この大火は、病死した娘の振り袖を焼いたところ、火が燃え広がったのが原因とされる。そのため祭りは女人禁制。走るのはもちろん、水かけも禁じられている。

 この日は大荒れの天気で、気温は0度前後。時々雪が激しく降り、冷たい風が吹く中、腹巻き姿の男たちは震えを抑えるように、「わっしょい! わっしょい!」と声を張り上げた。

 近くの八幡神社で厄よけを祈願し、杉の木札をさらしの中に挟み込み、いよいよ水かけ。「旗切り」と呼ばれる出発の合図で、男たちは「うぉー!」と一斉に走り出す。待ち構えた見物客らが、おけで清め水を次から次へとかけた。

 五つの区間ごとに態勢を整えて進むため、男たちは停止する度に肩を組み合い、大声を張り上げた。冷たい風が吹くと、熱気を上げるため、さらに声が大きくなった。

 全ての区間を通過すると、仕上げの「納め水」。みんなで肩を組んで輪になったところへ、頭からさらに大量の清め水がかけ続けられ、今年も「天下の奇祭」は幕を閉じた。

 雪が降りしきる空を見上げながら、保存会会長の金野幸冨さん(78)は「まさに冬の祭りらしい開催になった。大切な伝統が続き、地域がますます盛り上がってくれたらうれしい」と話していた。

共有
Exit mobile version