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発掘調査で道路と側溝の跡が見つかった。手前の柱穴は道路を埋め立てた後の建物跡=2024年12月17日、奈良市法華寺町、今井邦彦撮影
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 奈良時代の政治・行政の中枢だった奈良市の特別史跡・平城宮跡。その東南角に食い込むように広がる「東院南方遺跡」を発掘調査した奈良文化財研究所(奈文研)は18日、奈良時代の中ごろに、ここに約260メートル四方の広大な施設があったと発表した。

 平城宮跡は東西約1・3キロ、南北約1キロの長方形の、東南角を切り欠いたような形をしている。この切り欠き部分が東院南方遺跡で、1988~89年には東南部の溝から7万点を超える木簡が出土した。そこに書かれた人名から、遺跡の東南部には平城遷都を指揮した藤原不比等の四男、麻呂(695~737)の邸宅があったと推定されている。

 奈文研は昨年11~12月、この遺跡の性格を明らかにするため、中心部分の東西20メートル、南北8メートルを発掘調査。東西に走る幅約5メートルの道路と、北からの幅不明の道路の交差点跡が見つかった。

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