Smiley face
写真・図版
最初に挑んだ中山道を踏破し、京都・三条大橋で2人の息子と共に記念撮影をする小林潔さん=2008年、小林さん提供
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 岐阜県多治見市の小林潔さん(75)は、49歳の時、病に倒れ、余命宣告を受けた。「人生、これで終わりか」。絶望のなかで出合った街道歩きが、その後の小林さんの人生を大きく動かした。

 会社勤めをしていた26年前、名古屋市内の結婚式場で「事件」は起きた。

 勤務先の後輩の結婚式でトイレに行った時に、胸をかなづちで殴られたような痛みに襲われ、救急車で近くの病院に運ばれた。

宣告は「余命数年」 どうせ死ぬなら…

 夜まで続いた検査で分かった病名は「解離性大動脈瘤(だいどうみゃくりゅう)」。大動脈が2倍の太さに膨らんでいたという。一命は取り留めたが、医師から言われたのは「助かる見込みは低いと思います」。

 「そんなこと本人に言うか?」とショックを受けたのを今でも覚えている。

 血圧を下げる治療を受け、3カ月間入院。担当医も変わったが、どの医師からも「余命数年」と言われた。

 ただ、体調は安定し、職場にも復帰した。2年後の51歳の時には「軽い運動はした方が良い」との医師の勧めを受けて、ウォーキングを始めた。

 日常生活を取り戻し7年ほどがたったある日、たまたまNHKの番組「街道てくてく旅」を見た。歴史ある中山道を歩く姿に「いいなあ」と魅了された。大学時代にはユースホステルクラブに所属するなど旅好きだったこともあり、一気に挑戦したい気持ちが高まった。

 一方で、体調は万全ではない。山道や100キロ超を歩くこともある街道歩きには不安もあった。医師に相談すると「自己責任で」とも言われたが、「好奇心が勝った。どうせ死ぬならやりたいことをやろう」。

32日間かけ534キロ 息子2人とあげた祝杯

 59歳で初めて挑んだのは中…

共有