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東北・みやぎ復興マラソンで、かさ上げ道路を走るランナーたち=2017年10月、宮城県岩沼市、福留庸友撮影

 仙台市から名取市、岩沼市、亘理町を経て山元町までの約40キロ。沃野(よくや)が広がる宮城県・仙台湾岸を、盛り土された2車線道路が突っ切っている。

 2011年の東日本大震災では、津波が最大5キロの所まで達し、田畑や集落をのみこんだ。次に巨大津波が襲った時、勢いを少しでもくい止めようと考え出されたのが「かさ上げ道路」だ。

 海岸防潮堤と並行し、1キロほど内陸を通る県道塩釜亘理線、相馬亘理線などを「二線堤」として、高さ4~6メートルに盛り土した。工事に500億円以上をかけ、全区間開通は21年春。道路を境に海側は、人の住めない災害危険区域になった。

 時は流れ、今この道路沿いにいくつもの集客施設ができている。フルーツパーク、海の見える温泉、サイクリングセンター、子どもたちが羊と遊べる牧場……。人々の暮らしが消えた跡に、戻り始めたにぎわい。物流ルートも兼ねる道路は、車の往来が絶えない。

 薦めたい立ち寄り先がある。岩沼市の長谷釜地区の公園にある大イチョウの木だ。津波にも耐えた18メートルの大木の下に、石碑が建つ。

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長谷釜地区のシンボルだった大イチョウ。集落は津波で流され、人々はかさ上げ道路の内陸側に集団移転した=宮城県岩沼市、石橋英昭撮影

 「長谷釜集落があったことを忘れず、この地を離れても大イチョウと共に生きていくことを決意し、建立する」。一緒に刻まれるのは、震災犠牲者37人の名だ。

 秋には、かさ上げ道路を走路にして「東北・みやぎ復興マラソン」が開かれる。昨年、東京から参加したランナーの言葉に、はっとした。「震災で亡くなった人のことを思い、当たり前に走れる幸せを感じた」

 たくさんの悲しみと、希望の上に築かれたベイサイドロード。アクセルを踏み海風を感じたら、ほんの少しでいい、あの大震災を思ってほしい。(石橋英昭)

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