1970年の大阪万博では、一部のパビリオンが閉幕後に国内外へ移築されました。パビリオンはどこに行き、どのような役割を持っているのか。パビリオンの追跡調査を行ってきた大阪公立大学の橋爪紳也・特別教授(建築史学)に聞きました。
――大阪万博では56の国際館、30の企業館が建設されましたが、パビリオンの行方はどうなったのでしょうか。
今残っているパビリオンは、鉄鋼館、大阪日本民芸館、ミュンヘン市館、カンボジア館、ラオス館、サンヨー館の計6館です。
ただ、どこまでパビリオンと呼ぶのかは難しいのです。展示館だけではなく、休憩所や日本庭園などの建築も現存するためです。
移築の方法や意図は様々
総じて「移築」と言っていますが、パビリオン全体、一部の利活用、同じ形に再現、など方法も色々あります。移築されたものの、老朽化で取り壊されたものも多くあります。
――そもそも、パビリオンの役割はどういったものなのでしょうか。
博覧会の本質は、巨大な展示会で、総合見本市です。各国が独自の展示館を仮設で建てて、産業の物産品などを展示する。それがパビリオンの役割といえます。
万博は世界各国の展示が集まる「小さな世界」で、ベースには国際交流があります。
パビリオンの移築も、姉妹都市など国際交流の証しとして受け入れたケースもあります。話題性を重視したり、記憶の継承を狙ったり、移築の意図は様々です。
想定外の移築や保存 「太陽の塔」も
――大阪・関西万博は「サステイナブルな運営」を掲げ、移築を促しています。再利用を想定して設計されたパビリオンもあります。
2005年の愛知万博あたりから、環境への配慮が重視されるようになりました。
ただ、移築や再利用の想定は、あくまでも想定でしかない。しばしば想定外のことは起こります。
大阪万博でも有名な「太陽の塔」は「仮設建築物」で、閉幕から半年で取り壊す予定でした。
ところが、一般からの保存要望の盛り上がりもあり、政府や行政などを交えた検討の結果、存置されることになりました。近年になって、耐震性を高めて建築物とし、今年5月には国の重要文化財に指定される見通しとなりました。
きわめてまれな想定外の事例といえます。
逆に、恒久施設という想定で建てた「日本館」や「エキスポタワー」は取り壊されて、現存していません。
――今回の万博では移築予定が6館だけと、目標の17.5館よりも少なくなっています。
パビリオンはあくまで仮設なので、移築して再利用するためには相当なコストがかかります。
今回の万博のパビリオンは、ファサード(正面外観)など表側はデザインされていますが、裏側は単なるプレハブのようなものも多い印象です。個人的には、パビリオンを象徴する部分を切り出して、一部だけでもモニュメントとして再利用するケースが増えてほしいと願っています。
万博は国際交流の場だからこそ、交流の象徴として、友好関係のある地域などが移築や再利用する例が増えてほしいと思います。