日本最古の本格的な仏教寺院とされる奈良県明日香村の飛鳥寺跡(国史跡)で70年近く前に行われた発掘調査でみつかった遺物の中から、6世紀末に仏塔の地下に納められた創建時の舎利容器とみられる金属片が複数確認された。奈良文化財研究所飛鳥資料館の石橋茂登・学芸室長(考古学)らの研究チームが遺物を再整理する中で発見し、今春刊行された「奈文研論叢」第5号で発表した。
舎利容器は金銅製のお椀形の可能性が高く、研究チームは復元案も示した。朝鮮半島経由で伝わった古代日本の仏教信仰の実像に迫る重要な成果として注目される。
「日本書紀」などによれば、飛鳥寺はヤマト王権との交流が深い朝鮮半島の百済の支援を受け、大豪族・蘇我氏の氏寺として588年に建設が始まった。
593年に木塔の柱(心柱)を立てる礎石(心礎)の内部に、釈迦の骨(仏舎利)を納めた容器を安置したとみられるが、塔は1196年に落雷で焼失。翌年に東大寺僧の弁暁らが塔基壇を発掘し、舎利100粒余などを掘り出した。舎利容器もその際に持ち出されたとみられていた。
奈良国立文化財研究所(当時)が、1957年に塔跡を発掘調査し、基壇の地下約2・7メートルで塔心礎と遺物がみつかった。だが、塔心礎の埋納品については一部を除いて詳細な報告はなかった。石橋さんらは2015年から再整理に乗りだし、資料を図化し、科学的手法による分析などを進めてきた。
舎利容器をめぐっては、猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)が1990年、塔心礎の埋納品の中に舎利容器のふたとみられる半球形の金属片の存在を明らかにした。塔心礎内には1辺約30センチ、深さ約20センチの方形の穴が開けられ、その穴の中には幅・奥行き約12センチの横穴も掘られ、舎利容器は横穴に納められた可能性も示していた。
再整理でなにが明らかになったのか?
今回の再整理を通じて、猪熊…