戦時中に生体実験などを行った旧日本軍の細菌戦部隊のうち、実態が不明だった中国・南京などの部隊の隊員名簿が、国立公文書館から研究者らに公開された。細菌戦部隊については731部隊(関東軍防疫給水部)以外の資料は少なく、まとまった公文書が明らかになるのは初めて。日本軍による細菌戦の一端が解明される可能性がある。
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名簿が見つかったのは1644部隊(中支那防疫給水部)と8604部隊(南支那防疫給水部)。それぞれ南京と広州に設置された。中国各地の防疫給水部の中で1644部隊は731部隊に次ぐ「有力な部隊」とも言われる。
公開されたのは1945年の「留守名簿」で、1644部隊のものは1月と4月の2冊があり、全隊員の氏名や住所、前所属などが載っている。閲覧した西山勝夫・滋賀医科大名誉教授によると、731部隊で細菌戦の研究をした隊員の名前が1644部隊の名簿でも確認できたといい、「細菌戦部隊同士の連携が裏付けられた。日本軍の細菌戦部隊のネットワークの全容を解明していく出発点になる。今後、新証言などで新たな研究につながる可能性もある」と指摘する。
1644部隊の手がかりとなる資料や証言は少ない。陸軍で秘密戦を研究した「登戸研究所」の元所員の伴繁雄氏(故人)の回想録「陸軍登戸研究所の真実」(芙蓉書房出版)では、41年に伴氏が南京に出張し、1644部隊の軍医による中国軍捕虜らの生体実験に立ち会った記載がある。