米軍が長崎に投下した原爆で破壊された教会の鐘が、80年を経て復元された。支援したのは、米国のカトリック信者たち。原爆を落とした側と、落とされた側をつないだのは、長崎の街が背負う、潜伏キリシタンと原爆の歴史だった。

原爆で破壊された浦上天主堂=1945年8月、長崎市本尾町

 7月17日、長崎市のカトリック教会、浦上天主堂。鐘楼への取り付け工事を前に、祝福式が催され、真新しい鐘に聖水が注がれた。

 青銅製の鐘は、高さ66センチ、直径80.7センチ、重さ224キロ。式典では、澄んだ音色が、原爆の爆心地と重なる浦上地区に響いた。

 カーン、カーン、カーン――。

祝福式で新しい鐘に手をそえる中村倫明・カトリック長崎大司教=2025年7月17日午前10時15分、長崎市、日吉健吾撮影

 「80年たって、浦上天主堂は完全に元に戻った。ここからまた始めようという合図です」

 鐘を鳴らし、手を合わせた信者の森内浩二郎さん(72)は、そう感じる。森内さんは長崎の潜伏キリシタンの子孫で、被爆2世でもある。

 ともに鳴らしたのは、米ウィ…

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