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連載 「楽しい」テレビ(上)

「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンのもと、1980年代に数々の人気番組で社会を席巻したフジテレビは、テレビの歴史において「文化」から「娯楽」への堕落を招いたのでしょうか。戦後にはじまるテレビ史を振り返れば、何かと批判されてきたバラエティー番組には「民主化の装置」としての面があったという指摘もあります。「楽しい」テレビとは何か、全3回の連載で考えます。

 フジテレビの清水賢治社長は、1983年に入社した若手時代のある一夜を覚えている。「テレビは文化だ。しかしお前たちがテレビにビジネスを持ち込んだ」。東京・赤坂の居酒屋で、TBSの社員から絡まれたという。

 「ドラマのTBS」。60~70年代にゴールデン帯の視聴率首位であり続けたTBSは、社会派からホームドラマまで数多くの名作を生み出し、そう称されていた。国際的な音楽祭など大がかりな文化事業も手がけ、「民放の雄」としての地位を築いた。

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インタビューに答えるフジテレビの清水賢治社長=2025年6月4日、東京都港区のフジテレビ本社、吉田耕一郎撮影

 一方のフジは80年代の改革で「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンのもと、娯楽性の高い番組を志向する。そして82年に視聴率競争でTBSからトップの座を奪った。

 清水氏によると、居酒屋でTBS社員は「視聴者が見たいような面白い番組ばかり作ってテレビを何だと思っている」と言い放った。それに清水氏は「何が文化かを決めるのはお客さんだ」と言い返したという。清水氏は当時を振り返って、こう語る。「作り手ではなく、視聴者が面白いと思うものを作る。当時のフジがやったことは、テレビの民主化だった」

一億総白痴化か、それとも…

 テレビの歴史の中で、娯楽色の強い番組への批判は昔からあった。日本初の民放テレビ局だった日本テレビは、開局した53年に「何でもやりまショー」というバラエティーを立ち上げた。一般の人がジュースの早飲みといったゲームに挑戦する番組。この番組を批判して評論家の大宅壮一が発した表現から、テレビには「一億総白痴化」という言葉がつきまとう。

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1950年代、デパートに並ぶテレビを眺める人たち

 しかし、関西大学の松山秀明准教授(テレビ文化論)は、草創期のバラエティーには「民主化の装置」という肯定的な側面があったことを強調する。

 戦中の「放送」は権力者に支…

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