今から80年前の1945年8月30日、連合国軍総司令官のマッカーサーが厚木飛行場(神奈川県)に降り立ちました。その少し前には同じ場所で、第302海軍航空隊の小園安名司令らが日本の無条件降伏に反対し、各地に徹底抗戦を呼びかける厚木航空隊事件も起きていました。防衛研究所戦史研究センターの進藤裕之主任研究官は「米軍の日本統治が成功した背景にはいくつかの理由がある」と語ります。
- 天皇制存続の陰にグルーら米知日派の努力 ポツダム宣言から80年
――厚木航空隊事件とは。
第302海軍航空隊は約3千人で構成され、関東地方の海軍の根拠地などを守っていました。最多時には、100機弱のゼロ戦や局地戦闘機の雷電などを保有していました。小園大佐は「皇国には降伏はありえず、降伏の聖断は天皇の真意ではない」とし、徹底抗戦を呼びかけました。実戦経験のない参謀らが作戦指導したため、無為無策のまま敗北に至ったという不満もあったようです。
第302海軍航空隊は航空機を使って北海道・函館から九州・別府に至るまで、徹底抗戦を呼びかけるビラをまきました。近くの陸海軍基地にも説得に回りましたが、同調する人はほとんどいませんでした。
これに対し、海軍では陸戦隊を送り込んで武力鎮圧する案も浮上しましたが、説得と指導で解決する方針を決めました。海軍の軍人だった高松宮が第302海軍航空隊の参謀らに会って説得し、8月21日には小園大佐を病気治療のためとして強制入院させて、反乱は首謀者を失いました。
一方、抗戦を継続するため、同じ21日に約80人の搭乗員が飛行禁止令を無視して、約30機に分乗して陸軍の狭山基地と児玉基地を目指して脱出しましたが、上層部から説得されるなどして23日に事件は収束しました。
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