米ニューオーリンズの米国立第2次世界大戦博物館にある、米軍の「オリンピック作戦」(南九州侵攻)を説明する掲示物=2014年11月28日、牧野愛博撮影

 80年前、米軍は日本の本土に侵攻する「ダウンフォール作戦」の準備を進めていました。日米ともに、決戦の場は南九州と関東になると考えていました。防衛研究所戦史研究センターの小椿整治2等空佐は「米国は大量の戦死傷者が出る可能性について深く憂慮していた」と指摘する一方で、「上陸地点に原爆を投下する戦術を唱える関係者もいた」と語ります。

  • オスプレイ飛行停止、旧日本軍は機体の不具合とどう向き合ったのか

 ――ダウンフォール作戦とは何ですか。

 南九州に侵攻するオリンピック作戦と、関東地区に侵攻するコロネット作戦で構成されていました。オリンピック作戦は1945年11月1日に実施予定でした。航空部隊も含めて約70万人の総兵力が参加し、3個軍団に分かれて宮崎海岸、鹿児島県の志布志湾と吹上浜に同時に上陸。南東海岸の宮崎県・都農と南西海岸の鹿児島県・川内を結ぶ線までの占領を目指しました。そのうえで、中・大型爆撃機も発進できる大型飛行場や基地を整備する計画でした。

 コロネット作戦は46年3月1日の実施を予定していました。上陸総兵力は約100万人で、千葉県の九十九里浜と神奈川県の相模湾に同時に上陸します。「敵の心臓部」である東京地区に決定的な打撃を与え、日本の息の根を止めるための作戦でした。

【連載】読み解く 世界の安保危機

ウクライナにとどまらず、パレスチナ情勢や台湾、北朝鮮、サイバー空間、地球規模の気候変動と世界各地で安全保障が揺れています。現場で何が起き、私たちの生活にどう影響するのか。のべ380人以上の国内外の識者へのインタビューを連載でお届けします。

■米軍の予想死傷者数、「最大…

共有
Exit mobile version