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模擬原爆の犠牲者に対し黙禱(もくとう)する松本道明さん。自らも当時、被害に遭った=2025年7月26日午前9時29分、大阪市東住吉区田辺1丁目の恩楽寺、花房吾早子撮影
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 米国が原爆投下の訓練のためにつくった「模擬原爆」。全国に落とされた49発のうちの一つ、大阪市東住吉区田辺1丁目の恩楽寺で26日、犠牲者への追悼式があった。地域の小中高校生ら100人余りが参列した。

 1945年7月26日午前9時26分、パンプキンと呼ばれる模擬爆弾が、今の市立田辺小学校の北側に落とされた。後に長崎に投下される原爆と同じ型、同じ重さ(約4・5トン)の通常爆弾。7人が死亡、73人が重軽傷を負った。恩楽寺も爆風を受け、本堂が南側へ傾いた。

 追悼式では、子どもの頃に模擬原爆の被害に遭った3人が体験を話した。

 山本悦子さん(87)は国民学校からの下校中に警報が激しく鳴り、細い路地にふせた途端、爆音に包まれた。瓦やほこりをかぶりながら起き上がり、自宅の方向へ走ったという。「戦争は人の尊厳を無視するもの。将来に向けてなくさなければならない」

 恩楽寺の向かいに住んでいた橘住雄さん(87)は、爆弾が落とされた後に家に帰ると、床や畳がガラスの破片でいっぱいだったことを覚えている。追悼式で子どもたちが未来へのメッセージを読み上げるのを聞き、「これからも頑張って勉強して、戦争は起こすもんではないということを世界中に広げてほしい」と話した。

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