「枕元に防空ずきんをおき、6月なのにもんぺをはいて寝ていました。警報を聞いて防空壕(ごう)に逃げたんだと思います」
元日本語教師の赤堀由子さん(89)=静岡市葵区瀬名=は80年前を思い出す。
静岡空襲の夜のことだ。いまの小学校にあたる国民学校の3年生で8歳だった。
自宅は駿府城跡から南に1・5キロほど、現在の葵区吉野町あたりにあった。木造平屋、庭に防空壕が掘られていた。
父親はフィリピンに出征中。母親は30歳になって間もないぐらい。50代の祖母、4歳下の弟、女学校に通う10代半ばのいとこと暮らしていた。
5人で防空壕に逃げ込んだのもつかの間、空襲が激しくなり、消防が避難を呼びかけて回った。
外は、逃げる人たちでごった…