春夏あわせて4度の甲子園優勝を誇る箕島(和歌山)で、ベストゲームと言えば1979年夏の3回戦、星稜(石川)との延長十八回を挙げる人が多いだろう。
ただ、その4年後の83年夏にも、劣らぬほど劇的な試合を演じている。
主人公は5番に座った硯(すずり)昌己だった。
吉田(山梨)との1回戦だった。七回表まで0―2とリードされた箕島はその裏、硯の本塁打で1点を返した。九回も1死三塁の好機をつかみ、打席には再び硯。前の打席で一発を放っているだけに、三塁側アルプススタンドの箕島応援団の期待は高まった。
カウント3ボール1ストライク、尾藤公監督からのサインはスクイズだった。硯は懸命にバットを出したが、バッテリーに外され、三塁走者はタッチアウト。2死走者なし。
さすがの箕島でもここまでかと思われた。しかし、スクイズ失敗の次の球だった。
低め直球を硯がとらえた。打球は背走する中堅手を超え、バックスクリーン左に飛び込んだ。硯はガッツポーズを繰り返した。衝撃的な同点アーチだった。
試合後、当時の取材に尾藤監督は「スクイズ失敗でもう小細工はしまいと思った。狙い球も選手に任せた」。吉田の輿水又幸監督は「箕島は確かに粘りも実力もあるチーム。何をされるか分からず怖かった」と話した。
当時、吉田の2年生遊撃手で、のちにプロ野球西武で活躍した田辺徳雄は「初めて経験した漫画みたいな出来事だった。甲子園は何が起きるか分からないと痛感した」と振り返った。
試合は延長戦に入り、箕島は十三回、1点を勝ち越されたが、その裏に2点を奪い、逆転サヨナラ勝ちした。
この年の箕島は3回戦で高知商に敗れ、春夏連覇した79年に続く2度目の全国制覇はならなかった。しかし、硯の土壇場での一発は「箕島は甲子園で奇跡を起こす」というイメージを与えるに十分だった。