マウンドに立つ田柄の青木琉人主将=2024年7月10日午後1時46分、S&D昭島、西田有里撮影

(10日、第106回全国高校野球選手権西東京大会2回戦 田柄0―20筑波大駒場)

 9年ぶりの単独出場。田柄にとって悲願の試合だった。先発の青木琉人(りゅうと)(2年)は一回に4点を失っても、すぐ気持ちを切り替えた。3年生のマネジャー・平子聖奈に勝利を届けたい――。二回には直球に変化球を絡め、2者連続三振した。

 2年前、部員は当時1年の平子と2年の選手の2人だけだった。グラウンドは腰の高さまで雑草が伸び、地面はでこぼこ。ネットなどの器具も金属が腐食していた。

 平子らは一人でも多くの新入生に入ってもらおうとグラウンドの草を刈り、半年ほどかけて整備。同級生に「やっても無駄」と言われたこともあったが、そんな雑音をはねのけてきた。平子の姿に打たれ、学校は投球マシンを買ってくれた。

 他校と連合を組んで出た昨夏の大会後、大久保壮拳(まさたか)監督は、主将になった青木らに聞いた。「お前らの目標って、なんなの」。選手たちは「聖奈先輩の最後の夏に、単独チームで出て勝つこと」と答えた。平子の思いはしっかりと後輩に届いていた。

 それから青木たちは、新たな仲間や助っ人を求め、校内中をかけずり回った。そして夏の大会前、11人がそろった。

 とはいえ、わずかでも選手が欠ければ出場はかなわなくなる。一度抜けた連合チームに戻るのも難しい。平子は練習中も選手と一緒に走り、誰よりも声を張り上げ選手を鼓舞した。

 願いがかなった夏の大会の初戦。今の田柄があるのは、平子のおかげ。だから、青木は試合に勝って平子を喜ばせたかった。打たれても打たれても、最後までマウンドに立った。試合後、平子は青木に声をかけた。「ありがとうね」。敗れたけれど、平子が見てきた中で一番の全力投球だった。

 青木は思う。チームが大好きな平子のことだから、来年もスタンドから見ていてくれるだろう。来年こそは――。=S&D昭島(西田有里)

共有
Exit mobile version