芸術、ファッション、料理。多彩な魅力をもつフランスは、スポーツも盛んだ。パリでの五輪は3回目。冬季もすでに3回、開催国になった。メダル争いでも常に存在感を示す。それなのに、「スポーツが市民権を獲得したのは、この四半世紀ほどです」。そう語るのは意外なことに、パリ出身のフローラン・ダバディさん(49)だ。トルシエ監督時代のサッカー日本代表で通訳を務めたことで知られる。(稲垣康介)
6月、ダバディさんに半日かけて、パリを案内してもらった。出発点はパリ16区の実家。観光名所のトロカデロ広場から歩いてすぐで、エッフェル塔が望める立地だ。
「近所の公園でサッカーを楽しんでいました」
父のジャン・ルーさんは、多くの映画を手がけた著名な脚本家で、母マリーさんはインテリア誌の編集長。いわゆる「ブルジョア」だ。
「私の少年時代、ブルジョア層にとって、スポーツの位置づけは文化、芸術より下でした」
父は当時の文化人には珍しく、スポーツ紙「レキップ」を愛読していた。ダバディさんが高校に持っていくと、「一般紙を読む級友からスポーツ紙なんて、と冷たい視線を浴びました」。ダバディさんは毎年、会場が近所のテニスの全仏オープンや、ラグビーの各国対抗戦を観戦に行った。自身もサッカー、テニスを楽しんだ。
1980年代のフランスには…