田中ひとみさんは幼い頃、学校にあまり通えなかった。
産んでくれた母親は、自分が1歳になる前に亡くなった。そのことを知ったのは小学生の時だったと思う。別の女性を生みの親だと思っていた。
小学生の6年間は、継母らの都合で鳥取市内の四つの学校を転々とした。
そのたびに仲の良い友だちと離れてしまい、新しい友だちとは心を通わせることがなかなかできなかった。
気がつくと、いじめを受けていた。中学校にあがっても、いじめは続いた。
そして、学校に行けなくなった。
「悪いのは自分だと思っていた。家族にも自分のつらさを言えませんでした」
心を許すことができたのは、飼っていた猫と幼なじみの2人だけ。
生きていく道を、どう探せばいいのだろう――。
中学卒業を控え、担任の先生から美容学校に進むことを勧められた。美容師の仕事には何となく興味があった。
国家資格を取り、17歳から9年間は東京で働いた。その後、鳥取に戻り、家庭を持ちながら仕事を続けた。
でも、心にはずっと痛みを抱えていた。
人の気持ちが理解できない。人のことが信用できない。きっといじめを受けたからだ。
3人の子どもや2人の孫たちから「宿題を教えて」と言われても、できなかった。だって自分はあまり学校に通えなかったから。
ある時、たまたま見た映画で…