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ミャンマーの街角で見かけたCDM(市民不服従運動)の落書き=2024年9月、宇田有三さん撮影
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 ミャンマーの軍事クーデターから4年近くが経ちました。国際刑事裁判所(ICC)検察局は昨年11月、ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャへの迫害など人道に対する罪の疑いで、ミャンマー国軍トップ、ミンアウンフライン司令官の逮捕状を請求しました。30年以上にわたりミャンマーの取材を続けているフォトジャーナリストの宇田有三さん(61)は昨年9月、現地を訪れました。

 ――なぜ、ミャンマーを訪れたのですか。

 私は、ミャンマー軍が2021年2月1日に憲法に違反してまで起こしたクーデターを、なぜ予見できなかったのか、いつも考えていました。実際に現地を見て、何を見落としていたのかを再確認したかったのです。クーデター後の現地取材は6回を超えました。

 ある程度自由に動ける場所では、バイクに乗ってあちこち移動しました。9月の現地取材では、約50キロの範囲内で、集落や市場などを見て回りました。

 ――ミャンマーの街の様子はどうでしたか。

 ミャンマーと国境貿易が盛んなタイ最北端のメーサイから、タイ、ミャンマー、ラオスが国境を接する「ゴールデントライアングル」(黄金の三角地帯)へバイクで進むと、バンコクを思わせる高層ビル群がありました。「あれが中国資本が推し進めているカジノを中心とした新しい町なのか」と、目を見はりました。

 ラオス側の地点から北に約30キロほど、ミャンマーとの国境線であるメコン川沿いにバイクを走らせました。

 ミャンマー側にはアスファルトの舗装道路は見られず、木々が生い茂る山肌だけが続いていました。ミャンマーでは南部を除き、武装した少数民族の抵抗勢力が国境周辺の多くを支配しています。ですが、私が訪ねたラオス国境では、大きな動きは見られませんでした。

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 ――訪れた地域で危険を感じ…

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