戦争が起きれば自衛隊員や住民の中に犠牲者が出る――その現実から政治家も国民も目を背けていないかと、元防衛官僚の柳沢協二さんは問う。非戦を貫くためにこそ犠牲について考える必要があるというのだ。原点には、内閣官房副長官補として自衛隊のイラク派遣にかかわった際に抱いた疑問があった。
イラク派遣隊員の自殺 「考えていなかった」犠牲
――米国主導の戦争が起きていたイラクに自衛隊の部隊を派遣する政策を、2004~09年の間、内閣官房副長官補として支えましたね。戦死というものを初めて身近に感じたと、近著の中で書かれています。
「部隊を派遣する決定は私が着任する直前に行われていましたが、派遣延長を命じる閣議決定文書の起案者は私でした」
「自衛隊が派遣された地域は『非戦闘地域』とされていましたが、実際には宿営地は攻撃にさらされていました。派遣を命じたのは首相ですが、もし隊員に犠牲者が出たら、首相に進言する者としての責任を私も免れえないと感じていました」
――自衛隊は一人の死者も出さない形で、イラクでの任務を09年に終えたのですよね。
「官僚としては達成感を抱きましたが、『誰も死ななかったから良かったね』で終わっていいのかという疑問が残りました。もし犠牲者が出たら隊員のご家族に何を言えるのか、どういう意味のある犠牲なのか。その答えを見つけられない現実が自分の中にあったからです」
「15年には、イラクに派遣された延べ約1万人の自衛隊員のうち29人が在職中に自殺した事実も明らかになりました。こんな形の犠牲もありうるということを、戦地にひとを送り出す人間として当時考えていたのかと問われたら……正直、考えていませんでした」
――イラク戦争の大義は「イラクが保有する大量破壊兵器の脅威を除去する」ことでした。
「米国が掲げたその大義を私は支持していました。しかし、イラクに大量破壊兵器は存在しないことが後に明らかになりました。必要のない戦争、無駄な戦争だったのです。政策決定者も間違うことがあるのだという事実を、政策決定の側にいる一人としてどう考えればいいのかという疑問も残りました」
――退官したのは09年でしたね。厳しい聞き方になりますが、二つの疑問への思索を在職中にもっと深めることはできなかったのでしょうか。
「よくそう尋ねられますが、できないのですよ。ときの勢いのようなものがあって、引きずられていた。そんな私にできるのは、退官後に組織の論理を離れて一人の人間として考えることだろうと思い定めました」
政策決定者、失われる命に臆病であれ
「政策決定者は失われる命に…