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水戸部ゆうこさん。国立がん研究センター中央病院前で=東京都中央区、嶋田達也撮影

 夫が稼いでくれる大事なお金を治療に使い、子どもたちの将来を圧迫している――。東京都小平市の水戸部ゆうこさん(50、本名は裕子)はかつて、そんな思いから死を考えるまでになった。

 44歳だった2018年春、両肺とリンパ節に腺がんが見つかり、東京・築地の国立がん研究センター中央病院で、ステージ4と診断された。「完治は難しい」「病気と付き合っていきましょう。お薬はずっと必要です」と医師に言われた。

 抗がん剤治療が始まり、がん細胞を選んで攻撃する分子標的薬を毎日飲んだ。副作用で体が重く、気持ちも沈み、フルタイムの仕事をやめた。

 薬はこのころ1錠が約2万3千円。世帯収入に応じて上限額が定められている「高額療養費制度」のおかげで、月ごとの自己負担が抑えられたとはいえ、18~19年に支払ったのは計110万円以上。交通費や一部の検査費などもかさんだ。

 当時、長男と次男は小学生。なんとしても生きたい。それなのに、「命が終わるまで薬はエンドレス。こんな高額の支払いをずっと続けるの?」と思うと、正反対の考えが浮かんだ。

 「治療をやめれば、子どもにもっとお金が使える」「自分は生きているべきではないのでは」

 やがて、睡眠薬を飲まないと眠れなくなった。入浴中、水中に永遠に顔を沈めてしまいたい衝動に駆られた。ストーブを見ると、灯油をかぶって死ぬ方法が浮かんだ。家族を送り出し、自宅で独りで過ごす時間が危うかった。

 周りには、同世代のがん患者はいなかった。思い切ってママ友に打ち明けたら、泣かれてしまい、自分も涙が止まらなくなった。相手を困らせて自分もつらくなるから他人には話せない。がんのことは隠して独りで抱えるしかないと思った。

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水戸部ゆうこさん=東京都中央区、嶋田達也撮影

転機はほかの患者との出会い

 転機は19年秋。子育て中のがん患者が交流する一般社団法人「キャンサーペアレンツ」のオフ会で西口洋平代表(20年5月死去)の明るいトークに衝撃を受けた。きつい状況なのに、ほかの患者のために動いている。なにより楽しそうだった。

 「私、このままじゃいけない…

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