Smiley face
写真・図版
被害者の遺体の一部が見つかった場所で手を合わせる捜索ボランティア隊のメンバー=2023年5月4日、北海道の知床岬付近、神村正史撮影

 北海道の知床半島。突端の知床岬から半島の根元側へ9キロほどに「ペキンノ鼻」という小さな岬がある。

 1943~44年の冬、難破船の船長が船員の遺体を食べた死体損壊事件(ひかりごけ事件)の現場。知床岬付近は、当時も今も助けを呼ぶ手段がないのに等しい。船長は生き延びるために禁忌を犯さなければならなかった。

 私は二十数年前から毎年ここに通っている。人の立ち入りを拒む深い自然に身を置くと、人類が忘れてしまった「何か」がよみがえってくる気がする。その感覚を研ぐために通うのだ。

 道路は約10キロ手前で終わる。そこからは瀬渡し船。最初の10年ほどは番屋小屋に必ず1泊し、ヒグマの気配におびえ、風と波の音を聞いていた。

 2022年4月、観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈んだ。現場は「ペキンノ鼻」と半島を挟んで反対側の「カシュニの滝」の沖。地元漁師の桜井憲二さん(61)によって、捜索ボランティア隊が結成され、私も隊員となった。

 知床岬付近には、カズワンの甲板に搭載されていたとみられるベンチなどがいくつも漂着していた。

 触れてみると、冷たい海に投げ出された乗客らが「手を離さないで……」と声を掛け合っている姿が、即座に脳裏に浮かんだ。そこに吹く風は「私はここ」と語りかけてくるようだった。

 その夜は涙が止まらなかった。ほかの隊員もきっと同じ気持ちだろう。

 捜索隊は、被害者家族を招いた慰霊行事を今年7月に知床岬で行うことにした。その費用に充てる寄付を募ったところ、1月現在、1千万円を超えた。

 知床岬のあの風が、捜索隊員兼記者の記事に乗って全国に吹いたのかな。

共有