【動画】能登半島地震発生からの1年間、珠洲を撮影し続けた写真館店主=白井伸洋撮影、坂健生さん提供
晴れ着や羽織はかま姿の若者たちに気兼ねなく声をかけ、笑顔を写真に収めていく。1月11日、石川県珠洲市で開かれた「二十歳の集い」の会場で、坂健生さん(67)はカメラ片手に動き回っていた。集いは能登半島地震の影響で、1年遅れで開かれた。「仕事というよりも再会できたうれしさでいっぱいでした」。会場に若者がほとんどいなくなるまで撮り続けた。
祖父の代から3代にわたって珠洲で写真館を営んできた。地震が起きた2024年元日の夕方は、写真館のスタジオで学校の卒業アルバムの編集作業をしていた。大きな揺れに、思わず柱にしがみついた。窓から隣家が土ぼこりを上げて崩れていく様子が見えた。「次はうちかも」と思っている間に揺れは収まった。
始まった被災生活。水も電気もなく、毎食を自衛隊の炊き出しに頼る日々。電気は1週間ほどで開通したが、トイレが復旧したのは4月だった。「生きるのに精いっぱいでした」
撮り続ける理由
それでも続けたのが、珠洲の現状を写真に撮ることだった。撮り続けた理由は、地震発生翌日のつらい経験からだという。
知人の安否が気になり、市内を歩いていたところ、倒壊家屋の前でたたずむ女性を見つけた。親類が下敷きになっているという。坂さんは助けを呼ぶため、電話やSNSで状況を伝えようとした。だが、自宅近くではつながっていた携帯の電波がなくなっていて、何もできなかった。「役に立てず、無力でした」
後日、同じ場所を訪れると、花が供えられていた。坂さんは、地震の教訓などを伝えるため、自分が見た被災地の現実を写真に撮っていこうと決意した。
津波を受けたスーパー、食事の配給に並ぶ人々。春には地割れの残る道の脇に咲いた桜、初秋には例年と違う場所で開かれた祭りにレンズを向けた。いずれも被災地・珠洲に住む、一人の被災者目線で撮ったものだ。
記事の最後では、能登半島地震の発生からこれまで、珠洲の光景を記録する中で感じた思いを、坂さん自身が10枚の写真とともに振り返っています。
「将来の防災意識に少しでも役立てばいいし、写真を見た人の頭の中に『珠洲』が残ればいい。僕にできるのは写真を撮ることくらいだから」。写真をSNSで発信すると、時には万単位で反応があった。励ましのコメントも多く、写真を撮ることは坂さんにとって生きる糧にもなっていた。
「今撮れるものを撮っておかないと。記録として残しておけば、何年か経った後、細部まで情報の塊になる」
■「この子たちがいるなら」…