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昨年12月28日、受験を目前に控え、冬季講習に参加した中学3年生の生徒と小宮位之さん。普段は事務仕事がもっぱらだが、この日は歴史の講義に立った=東京都八王子市、西岡臣撮影
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小宮位之(たかゆき)さん 認定NPO法人八王子つばめ塾理事長 

 自分が貧乏してまで人助けをする人の気持ちがわからない。ある大学で自身の活動を紹介したとき、学生に問われた。その答えに、歴史学者の磯田道史さんが「無私の日本人」で紹介していた江戸時代の儒者、中根東里の言葉を使ったという。「水を飲んで愉(たの)しむものあり。錦を着て憂うるものあり」

 経済的な困窮が理由で塾に通えない中高生のための無料塾「八王子つばめ塾」を開き、その輪を全国に広げた。自治体の学習支援事業を受託するのではなく、民間から募った寄付金で運営し、ボランティア講師と一緒に一人ひとりに応じた学習指導と生活支援を行う。そのノウハウを伝授された全国の同志の無料塾は北は北海道から南は九州まで50を超えるという。

 東京の八王子市内に最初の教室を開いたのは2012年9月のこと。その半年後、「無料塾に専念したい」と勤務先に辞表を出した。当時6歳の長男を筆頭に子どもが3人。生活費は、すき間時間で出来る複数のアルバイトと妻のパート収入で賄った。執着を捨てた中根の言葉は立派だが、なぜそこまでするのか。やはり問わざるをえない。

 「13歳の頃の自分がして欲しかったことをしているだけです。困っても誰も助けてくれないのはなぜだろうと思っていたので、昔の自分を裏切らない生き方をしたかったんです」

無料塾の出会いを財産に

 貧困家庭で育った。小学生のとき、不定期で仕事をしていた父親が正月に宣言した年収目標が200万円だったのを覚えている。「レゴブロック」が欲しかったときは、無料カタログの完成イメージを見て頭の中でブロックを組み立てて遊んだ。「授業料が払えない」と親に中退を迫られた都立高校3年のときは、日本育英会(現・日本学生支援機構)から奨学金を借りて卒業した。

 大学卒業後、東京都の教職員を目指したが就職氷河期と重なり採用されず、私立高校の非常勤講師を経て父の知人の紹介で映像制作の分野で正規雇用の職を得た。だが、撮影クルーとして海外の紛争地や東日本大震災の被災地で傷ついた人々を目の当たりにするうちに、記録者にとどまることがもどかしく我慢できなくなった。人を育てる無料塾は教職経験を生かせる「天職」だった。妻も「教育の世界に戻るなら」と背中を押してくれた。

 つばめ塾で学ぶ子どもたちにとって「無償で一生懸命勉強を教えてくれる大人たち」との出会いが財産になると信じている。そして「自分も人の役に立ちたい」と考える卒業生が一人でも増えることで「世界が1ミリでも良い方向に動け」と願っている。

「教福中道」であれ

 記事の後半では、どのように無料塾を立ち上げ、運営し、全国にその輪を広げたのかを小宮さんへのインタビューで聞きます。「つばめ塾」の名に込めた願いとは。

 ――小宮家と塾の懐事情が気になるのですが。

 仕事をやめた最初の1年は苦…

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