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 戦渦が続くウクライナから日本へ避難し、今も暮らす人たちが約2千人いる。母国の惨状、慣れない日本での暮らし。ロシアによる侵攻から24日で3年、避難者たちはさいなまれ続けている。

【特集】ウクライナ侵攻3年 平行世界(パラレルワールド)

戦争で引き裂かれ、交わる機会を失った二つの国で、同じ問いにそれぞれの立場から答えてもらった。

アルバイト転々、綱渡りの生活 母子で避難するオレーナさん

 「もっと日本語を身につけて、仕事の選択肢を広げたい」

 2月中旬、東京都葛飾区の都営住宅。ウクライナ東部・ドネツク出身のオレーナさん(54)は、ひらがなを書く練習をするのが日課だ。傍らには100円ショップで見つけた幼児向けの教材。最近、ひらがなとカタカナを読めるようになったが、書くのはまだまだ。漢字は全くわからない。

写真・図版
手本を見ながらノートにひらがなを書くオレーナさん。ノートには丁寧に書かれた文字が並んでいた=2025年2月17日午後2時38分、東京都葛飾区、植松佳香撮影

 日本に逃れてきたのは、ロシアによる侵攻が始まって3カ月後の2022年5月。元夫や家族を祖国に残し、次男(16)と母子避難した。

 近所の公立中学校に通った次男も、日本語が全く分からない。授業についていけず、教室でも孤立。精神的に不安定になっていった。オレーナさん自身も来日後にパーキンソン病と診断された。祖国での戦渦は終わりが見えず、帰還の見通しも立たない。「生きることで精いっぱいだった」

 頼みの綱は、日本財団からの年間100万円の経済支援と、都の支援による都営住宅の家賃免除。だが、それだけで暮らすのは難しい。

 知人の紹介で、22年秋から…

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