7月26日のパリ五輪開幕まで100日を切りました。晴れの舞台を目指すアスリートが礎を築いた「原点」を、記者が訪ねました。
ポンテ広場 伝説を踊り継ぐ架け橋
3月下旬の夜、JR難波駅(大阪市浪速区)の改札を出ると、体を揺らしたくなるような音楽が、かすかに聞こえてきた。
音をたどっていくと、空が開け、学校の体育館ほどの広さがある「ポンテ広場」に着いた。
目に入ったのは20人ほどのダンサーたち。携帯スピーカーから流れる音楽に合わせて踊っていた。
仕事終わりだという市川佳織里さん(26)によれば、平日だと午後7時ごろからは学生が多く、午後9時ごろからは社会人の比率が上がる。友人と一緒に来るときもあれば、見ず知らずの人と並んで踊ることもあるという。広場の床は石でできていて、「ちょうどいい感じに滑る」。
広場に通い始めた5年ほど前、市川さんが頭を床につけて回転する「ヘッドスピン」の練習をしていたら、声をかけられた。
「頭の前の方をつけると危ないから、もっとてっぺんをつけるといいよ」
声の主はSHIGEKIX(シゲキックス)(22、本名・半井重幸)。パリ五輪で初めて採用されるダンス競技「ブレイキン」の日本代表だ。
SHIGEKIXは、小学2年生からの10年間、関東に拠点を移すまで毎日のようにポンテ広場に通っていた。
広場はダンサーの「聖地」として知られ、国内外のトップダンサーも姿をよく見せる。
「先輩方はヒーローだった。数十人、数百人の大人と過ごす時間は背伸びをしているような特別感があって、緊張感もありながら、毎日わくわくだった」
広場でさまざまな刺激とアドバイスをもらって、世界のトップダンサーへの階段を上った。
ポンテ広場とダンスとの関わりは、深い。
広場がある大阪シティエアターミナル(OCAT)が開業したのは1996年。その2年後には若者たちがラジカセを持参して、踊るようになった。
OCATを運営する湊町開発センターの幹部がある日、若者たちに尋ねた。
「なんでここで踊ってるの?」
若者たちの説明はこうだった…