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「回転まぶし」の前で作業をする養蚕農家の金田清さん(右)と妻京子さん=岩手県一関市、三浦英之撮影

現場へ! 震災とオシラサマ(4)

 オシラサマを取り巻く環境は近年、大きく変わった。

 材質の多くが桑の木であり、「飼い馬を愛した娘が、殺された馬と天に昇り、父親に蚕の飼い方を教えた」という逸話などから、北東北の養蚕農家などでは「蚕の神」とあがめられてきた。

 その養蚕農家が激減した。

 江戸時代、農家の定期的な現金収入の手段として盛んになった養蚕は、明治期に入ると製糸業と共に外貨獲得の手段となり、日本の近代化を根底から支えた。

 しかし、昭和期になると化学繊維が普及し、国の統計によると、最盛期の1929(昭和4)年に約221万戸あった全国の養蚕農家は、2023年には146戸に減少。岩手県内でもわずか4戸を残すだけになってしまった。

 岩手県一関市で、江戸中期から先祖代々養蚕を営んできた金田清さん(74)もその一人だ。

 室温25度の環境で1日3回、蚕に桑の葉を与える。繭になり始める頃、「回転まぶし」と呼ばれる枠に移すと、蚕は繭を作り始める。春、夏、初秋、晩秋の年4回、350キロほどの繭を収穫し続けてきた。

 しかし――。

 「時代が移り変わるのは、仕方のないこと。最近では、コロナ禍の影響も大きかった」

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