Smiley face
写真・図版
高松康雄さん(右)と妻祐子さん。子ども2人とあちこち出かけた=2002年11月、宮城県・鳴子峡、高松さん提供

【連載】ミッシング 震災行方不明2500余人の現実

東日本大震災では、全犠牲者の14%を占める2500人余りの人が、行方不明のままです。津波災害は遺体を見つけることすら難しい、恐ろしい災害でした。いまも大切な家族を待ち続ける人、捜し続ける人がいます。

 「死亡届」

 机に広げたA3判の用紙を前に、気持ちは行きつ戻りつを繰り返した。

 これを出せば、妻とのつながりが本当に切れてしまうんじゃないか。いや、単なる事務手続きと思えばいいんだ。

 妻がいなくなった2011年3月11日から、1年2カ月が過ぎた12年5月。書類を整えた後も、数日間ためらった。

 ようやく役場に足を向けた。

 宮城県女川町の高松康雄さん(68)は、いまも妻の祐子さん(当時47)が行方不明だ。当時、七十七銀行女川支店で働き、2階建ての建物から避難できないまま、屋上で津波にのまれた。

 翌日からあちこちの避難所を捜した。きっとどこかに身を寄せているに違いない。

 病院にも行ってみた。けがで入院し、記憶を失って名前を言えないのではないか。

生き延びた 同僚が書いた申述書

写真・図版
妻祐子さんの死亡届の際に提出した書類。高松さんが保管していた(一部を加工しています)

 2カ月ほどたち、気が進まな…

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