東日本大震災から14年を迎えた11日、名古屋市昭和区の鶴舞公園で、犠牲者を追悼する式典があった。県内に避難してきた被災者などが参加し、発生時刻の午後2時46分にあわせ、被災地の方角を向き、黙禱(もくとう)を捧げた。
「地震が起きた午後2時46分は、まだ生きてたんだよなあと毎年思う」 岩手県陸前高田市で14年前に被災し、津波で夫と4人の親戚を亡くした鶴島道子さん(70)=愛知県知多市=は黙禱を捧げた後、そう語った。
当時、陸前高田市の嘱託職員だった鶴島さんは市役所で被災。他の職員らと公園に避難したが、両親の安否を確認しようと自宅に戻ると、市の名所だった高田松原に津波が押し寄せているのを目にした。80代の両親を車に乗せ、近くの高台を目指した。人や家を飲み込んだ津波がバックミラーに映り、黒い壁が迫ってくるように見えた。無我夢中でアクセルを踏み、なんとか高台に到達。ついさっきまでいた公園が津波にのみ込まれた。
洋品店の店長をしていた夫の清さん(当時57)とは、4日後に小学校の体育館に設置された遺体安置所で対面した。地震が起きたあの日、高校への進学を控え、制服を注文しに来る中学生を待っていたという。「責任感が強かったから店に残っていたのかも」と振り返る。
持病のある父親の体調が悪化し、同年4月に妹が暮らす知多市に避難した。以来、自身の経験を伝える講演活動や避難所運営のアドバイスをする防災ボランティアとして活動している。
家族を捜しに行って津波にのまれた知り合いがたくさんいる。その経験から「生きていれば必ず会えるから、まずは自分の命を大切にしてほしい」と訴える。
震災から14年経つが、犠牲になった家族や友を忘れることはない。「亡くなった方に申し訳ないから、一日一日を笑顔で暮らしたい」。そうつぶやいた。