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筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳と石人・石馬(レプリカ)=福岡県八女市
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 ときは6世紀前半、中央の継体王朝に弓引いた九州の大豪族がいた。その名は筑紫君磐井(つくしのきみいわい)。「磐井の乱」は古墳時代最大の内乱ともいわれるが、実は朝鮮半島の国々を巻き込んだ国際戦争だったのでは、との見方も。「反乱」のイメージが大きく変わろうとしている。

 その経緯は「日本書紀」に詳しい。527年、朝鮮半島に向けて派遣された大和王権の軍勢を磐井は遮り、1年以上におよぶ大戦争に発展する。敗退した磐井は新羅の賄賂を受けていたとも記され、奸物(かんぶつ)としての印象が強い。その亡きがらは北部九州最大の前方後円墳、岩戸山古墳(福岡県八女市)に葬られたとされるが、一説には生き延びて逃亡したとも。結末は史料によって著しく異なる。

 記録が伝える磐井像は正しいのか。彼が仕掛けた戦争の実態は?

 昨年11月、福岡市で九州歴…

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