これからも繰り返し顕彰されるだろう。滅びかけていた上方落語の復興に大きく貢献した桂米朝。今年は没後10年と生誕100年にあたる。長く付き合った直弟子、次代を担う孫弟子に、一門が受け継ぐ「米朝の魂、気概」を聞いた。
「55歳までに死ぬ」。1978年に弟子入りした桂米団治は、父の米朝がそう言っていたのを覚えている。終戦間際に入隊し、病に倒れた経験が影響した可能性もある。
米朝は、レコード「上方落語大全集」や著書「落語と私」「上方落語ノート」など、主な著作物は50代までに出した。70代半ばで独演会をやめると宣言。徐々に高座を減らした。
桂佐ん吉は2001年に桂吉朝に入門後、大師匠の米朝に預けられ、身の回りの世話をした。抜群の記憶力が衰え始め、同じ場面を繰り返すようになったのを見ている。「予見してたと思います。『独演会は代演がきかへん』と言うてました」
埋もれた古典を発掘する一方、オリジナルへの敬意が高く、一つのくすぐりでも、使う際は「あいつがつくったんや」と許可を得ていた米朝。だから、自身で開口一番の代表作に仕立てた「動物園」に様々な手を加えられているのを聞くと、「わしの『動物園』をむちゃくちゃにしよる」と嘆いていたという。
一門の修業は厳しい。76年入門の桂米二は、師匠が3回やった噺(はなし)を聞いて覚える「三遍稽古」で育った世代だ。弟子には最初の3年間、稽古で録音させない。「始めに厳しくしてもらったから、何年経っても忘れない」
別の噺のくすぐりは使わない…