能登半島地震の被災地を襲った豪雨から、21日で半年となる。能登には今も、道路が寸断され、電気も水道も復旧しない集落が点在している。その一つ、石川県輪島市大沢町(おおざわまち)の現状を取材した。
輪島市街地の高台に、プレハブの仮設住宅が約80戸並ぶ。
土曜日の朝、ここから出てきた田中輝夫さん(84)と典子さん(78)夫妻が軽トラックに乗り込んだ。目指すは大沢町。震災直前まで営んでいた旅館兼自宅がある。記者も自分の車に乗り、軽トラックの後を追う。
直線距離で9キロ弱。海沿いの県道は地震で山ごと崩落した。迂回(うかい)路として応急復旧された山道を進む。
山が崩れ、土の色があらわになった斜面沿いは「落石注意」の看板に迫真力がある。田んぼだったとみられる場所は土砂に埋まり、流木が折り重なっている。直角に折れ曲がった電柱が、傾きながら、かろうじて立っている。車の窓を閉めているのに、土のにおいが車の中にまで入り込んでくる。
対向車と譲り合って進むような狭い山道を40分ほど走り、大沢町に着いた。市によると震災前、73世帯139人が住んでいた集落だ。
細い竹を組み上げた「間垣(まがき)」と呼ばれる垣根は、冬の冷たい季節風から家を守り、夏は日陰をつくるためのものだ。間垣の集落は国の重要文化的景観に選ばれ、NHKの連続テレビ小説「まれ」などドラマや映画の舞台となってきた。
その間垣が、土にまみれていた。
田中さん夫妻が営んでいた「田中屋旅館」は、海の間際にある。豪雨による土砂崩れで泥が流れ込み、山際の家々から流れてきたがれきが周囲を埋め尽くしている。
「地震よりも悪いね」
典子さんがぽつりと言う。
水道も、電気も来ない。それでも…
昨年元日の地震で道路が寸断され、大沢町は孤立した。住民たちは公民館に身を寄せ、2週間後までに全員がヘリコプターで救出された。県南部への2次避難を経て、春には住民の多くが輪島市街地の仮設住宅に入居した。6月には集落に電気と水道が復旧し、戻って家を直し始める人たちもいた。田中夫妻も仮設住宅から通い、旅館の再開を目指して片付けを始めていた。そんな矢先の9月21日、豪雨に襲われた。
ちょうど、集落の秋祭りの日…