日本でラジオ放送が始まってから、2025年3月22日で100年となる。その後のテレビとあわせて、魅力的な番組や歴史的な中継が、放送100年の歴史を彩った。1970~80年代に「視聴率100%男」の異名を取った萩本欽一さん(83)。萩本さんにとって、テレビへの意識が「ガラッと変わった」という放送があったという。テレビや芸能の世界で歩んできた道や、その現在地、未来について語った。
「ただいま」と何度言われても、「おかえり」は言わない
《1972年2月、テレビ各局は、山中の古びた建物と、緊張感を漂わせる機動隊を長時間にわたって映していた。連合赤軍のメンバーが長野県の山荘に立てこもった「あさま山荘事件」だ。警察が強行突入して制圧するまでの一部始終を、国民はブラウン管を通して目撃した。NHKと民放を合わせた視聴率は89・7%を記録した》
番組のために稽古していたら、「犯人の影が映った」って聞いたんだ。「ホントかよ」って、すぐにテレビの前に行ってね。
「おお! 出てきた!」「いま影が映ったじゃん。また出てくるかもしれないね」って。もう釘付けだったね。あの映像は衝撃的だった。
その時、ハッとしたんだ。こっちは一生懸命稽古している。でも、向こうはただ映しているだけ。それなのに、手に汗を握るような緊張感がある。台本もない、演出もない。それでも人は夢中になる。
- テレビは最後の国民国家メディア 情報セーフティーネットの今後は
テレビって、何かを「作る」…