Smiley face
写真・図版
農林水産相だった頃の田名部匡省さん(左)=1991年12月

 衆参両院の元議員で、農林水産相も務めた田名部匡省(たなぶ・まさみ)さんが26日、敗血症性ショックで死去した。90歳。葬儀は近親者のみで行い、後日、「お別れ会」を開く予定。喪主は、次女の参院議員、匡代(まさよ)さん。自宅は青森県八戸市南類家3の10の1。

 青森県議を経て、1979年衆院選で自民党から初当選し、衆院議員を6期務めた。91年、宮沢内閣で農水相に就任。98年から参院議員を2期。

 93年に自民を離党し、新進党などを経て、2003年に民主党に入党。中選挙区時代、元衆院議長の大島理森氏(78)との激しい選挙戦は有名で、地元では「八戸戦争」と呼ばれた。アイスホッケー日本代表として冬季五輪にも2度出場し、1972年札幌五輪では、男子代表チームの監督を務めた。

 大島氏は27日、追悼コメントを発表した。

 大島氏は「田名部匡省先生のご逝去に深甚なる哀悼の誠を捧げます。時には学びをいただき、時には郷土と日本のために携えて働きました。そして、激しく競い合いました」と振り返った。

 アイスホッケーの日本代表として五輪に2度出場した田名部氏に対し、「先生の歩まれました道の神髄は、アイスホッケーのフォア・ザ・チームではなかったかと私は思っております」とした。

 「田名部匡省先生のお姿が、私にとって努力の糧でした。時の流れを感じつつ寂しさも覚えます。そして、敬意と感謝を申し上げます」と結んだ。

共有