18日に亡くなった小山正明さんはテスト入団から史上3位の320勝を積み上げた。「精密機械」「針の穴を通す」と形容された制球力は、その下積み生活のたまものでもあった。
ひょろっとした長身のテスト生が、いかにプロで生き抜くか。打撃投手の時、少しでも球が外れると先輩から怒られる。徹底的に走り込んで下半身を鍛え、ホームベース上でボール半分を出し入れする制球力を身につけたという。「上半身の投球動作を支える下半身が、生命線」。それが口癖だった。
- 甲子園1世紀 阪神投打のスター、小山氏と田淵氏の思い出の巨人戦
その制球を武器に、エースとして阪神の黄金期を支えた。プロ野球が2リーグ制となってから初めて優勝した1962年。「ザトペック投法」の村山実が全力で投げていくのに対し、小山さんは無駄な力を省いたきれいな投球フォームで打ち取っていく。チーム75勝のうち、2人で計52勝を挙げ、小山さんが27勝。強烈なライバル心で競い合った。
球が手元で伸びるため打球は…