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竹端寛さん

 仕事中毒で能力主義の呪縛にとらわれていた――。兵庫県立大教授の竹端寛さん(50)は、現在小学3年生の娘の子育て中にそう感じたと、著書「能力主義をケアでほぐす」(晶文社)で明かしています。能力主義の特徴は「規格化」「標準化」「序列化」で、それは子どもの世界にも潜んでいると話します。同じく小3の娘を子育て中の記者(44)が聞きました。

 ――「仕事中毒」で「生産性至上主義」だったと、著書で振り返っています。

 娘が生まれるまでは、強迫観念に駆られるように働いていました。学問の世界には「書かないなら、立ち去れ」という言葉があります。単著や編著の出版や、論文執筆に明け暮れていましたし、講演や研修の依頼も断ったことがありませんでした。

 2017年、42歳の時に娘が生まれ、そうした生活は一変。最低限の仕事以外、子育てと家事に向き合うようになりました。

 ただ、X(旧ツイッター)で、同業者が本を出したとか「マスコミで取り上げられた」とか見る度に、取り残されていく感じがありました。

 ――私も、特に子どもが乳幼児期の頃は家庭にかかり切りになることが多く、仕事から取り残されていくような感覚がありました。

 でも、1日5回の洗濯をして、ごはんを作り、夜中には子どもをあやして「きょうも何もしてへんかった」って口をついた時に、妻に言われたんです。「あんた、こんないっぱいやってるやん」って。

 そういうことを通じて、生産性があると社会から承認されたことしか「やったこと」にカウントしていない自分に気づきました。内面化された能力主義の呪縛と向き合うようになったわけです。

 ――内面化された能力主義の呪縛、ですか。

 社会の中で評価されやすいのは、自己管理や時間管理の力です。社会から求められるタスクを理解し、時間内にこなす。そんな能力です。学歴信仰がよい例でしょう。受験はこうした能力が問われますし、合格は能力の証明にもなる。だから、学歴信仰はやみません。

 一方で、子育て、つまりケアとは、ままならないものに巻き込まれることですよね。家族旅行の時に娘が体調を崩し、旅先の耳鼻科に飛び込み、予約していた温泉旅館をキャンセルしたことがありました。毎日がこんなことの繰り返しです。

 そうした時、「思い通りにならない」と感じる自分がいるわけです。でもそれは、計画通り、スムーズに事を進めるという能力主義の作法に体が慣れすぎていたから感じることでもあるのです。自分が能力主義にとらわれていたのだと痛感しました。

 ――さきほどの「取り残された感」で言うと、公園で子どものブランコを押しながら「何もやっていないな、自分」と不安になり、スマホで仕事のメールを読み始めたことがありました。

 能力主義は依存的なところがあります。

 私たちの社会は「あるがままで大丈夫」とは言われにくい。承認されていないという不安が前提にあると、「規格化」「標準化」「序列化」する能力主義にすがりやすい。仕事中毒だった自分が実感するところです。

 でも、これって大人に限った話ではありません。子どもの世界にも能力主義が浸透していて、すでに「他者比較の牢獄」にいます。

 ――どういうことでしょう。

 昨年、当時小2だった娘が「算数できへん、私アホや」って、自分で自分の頭をポカポカッとたたいたんです。

 「そんなことないでっ!」っ…

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