連載「100年をたどる旅~未来のための近現代史」憲法編①
「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と明治憲法は定めた。天皇は軍を率いる「統帥権」を持ち、軍は天皇に直属する。軍部は太平洋戦争へ向かう戦間期、この統帥権を平時の軍備にまで広げて主張し、予算の執行や議決をつかさどる内閣や議会の力を封じていった。
1930年、民政党の浜口雄幸内閣が軍事予算削減につながるロンドン海軍軍縮条約を結ぶと、野党の政友会が軍部に同調し、「海軍の意見に反し、天皇の統帥権を侵した」と衆院で内閣を攻撃した。「統帥権干犯問題」だ。
これに同年の著書「倫敦(ロンドン)海軍軍縮会議の成果」で反論したのが、条約締結の会議に随員として参加した貴族院議員の山川端夫(ただお)だった。
「もし軍部の意見が一部のものの主張するように絶対的だとすれば、兵力量に関する予算を議会が勝手に削除し修正する現在の建前とは全く相いれざることになる」
内閣の決めた軍縮を軍部が拒み、予算の議決権を持つ議会が後押しするとは。山川の反論にはそんな思いがにじむ。
山川は東京帝国大学法学部卒。1899年に海軍省参事官となり、外務省条約局長や内閣の法制局長官を経て、1926年から終戦翌年まで貴族院議員を務めた。日本が朝鮮半島や中国大陸へ権益を広げる中、軍部が天皇の統帥権を盾に議会どころか内閣も排そうとするのを、海軍省の頃から見てきた。
憲法の解釈を変える――。戦前、軍部独走を許したその手法は、新憲法下の戦後も繰り返されてきました。発端は岸信介内閣時代の日米安保条約改定交渉の生々しいやりとりにありました。
山川が強く懸念したのが「軍令」の乱発だ。
明治憲法では天皇が「統治権…