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連載「100年をたどる旅」憲法編

連載「100年をたどる旅~未来のための近現代史」憲法編⑥

【前回の記事】戦争は「人類の必然」なのか…否 現実と格闘した戦前日本の外交官

戦前日本の外交官で、「不戦条約」の成立にも奔走した安達峰一郎は、武力ではなく外交による紛争解決の理想をあくまでも追い求め、志半ばで世を去りました。第2次世界大戦を「防げなかった」といわれてきた不戦条約。その精神は、国際政治の現実の前に無力なものだったのでしょうか。

 第2次大戦の終結後、不戦条約の水脈は日本国憲法9条に注ぎ込んだ。

 連合国軍総司令部(GHQ)の元民政局次長で9条を担当したチャールズ・ケーディスは、「不戦条約の中にうたわれていることを思い出してそれを生かせるだろうと考えた」と1981年にジャーナリストの古森義久さんに証言した。93年の週刊誌「AERA」でも不戦条約が「私の考え方の柱でした」と語っている。終戦翌年にはのちの首相芦田均が、戦争放棄や、仲裁と調停で紛争を解決する思想は、すでに不戦条約と国際連盟規約で政府が受諾した政策であり、「決して耳新しいものではない」と閣議で述べた(「芦田均日記」)。

 「武力による威嚇又(また)は武力の行使」を禁ずるとの9条の文言も国連憲章2条4項に通ずる。事実上の戦争を防げなかった不戦条約の反省に基づく。

 とはいえ、9条の理念は単なる欧米からの借り物ではなかった。

「勝つ見込みのない戦は避けねば」 元海軍大佐の論陣

 「憲法9条の思想水脈」を著…

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