Smiley face

 背後の金びょうぶを厳かな光が照らしている。

 隣には藤井聡太がいる。

 6月2日、第96期棋聖戦五番勝負第1局の前夜祭。

 杉本和陽は落ち着かない様子で視線を上下左右に泳がせている。

 無理もないだろう。輝ける場所に立つことなんて今までなかったのだから。

 主催者あいさつで「藤井棋聖は次々と歴史に名を刻み続けてきた将棋界の絶対王者。6連覇がかかる大事な勝負となります」との言葉があった。続いて、挑戦者が紹介された。「杉本六段は奨励会三段リーグの年齢制限に迫る25歳でプロ棋士になった苦労人。棋士になって9年目でつかんだ大舞台です」

写真・図版
前夜祭で花束を贈られた杉本和陽六段(左)と藤井聡太棋聖=2025年6月2日午後6時19分、栃木県日光市、北野新太撮影

 苦労人という単語を聞いた瞬間、33歳は少し恥ずかしそうな笑みを浮かべた後でうつむいた。

 私は彼から聞いたばかりの言葉を思い出していた。

 「苦労人という言葉で美談にしていただいたりするんですけど、自分は本当の意味では苦労人ではないです。ただの自業自得の人。自分の感覚では、例えば経済的な事情から何かにチャレンジできない方、様々な状況を抱えながら挑戦されるような方が『苦労人』で、自分は自由な選択をしながら、ただ自分の努力不足によって結果が伴ってこなかっただけ。苦労人じゃないです。自業自得の人だと思います」

 将棋の第84期名人戦・順位戦が12日、開幕した。最下級のC級2組に在籍する杉本和陽(かずお)六段(33)は昨年度にブレークを遂げ、現在進行中の棋聖戦五番勝負で藤井聡太棋聖(22)に挑戦している遅咲きの棋士。彼の「8年半」と「8年」に迫る。少年の日から追い続けた夢を奪われそうになった直前、難局を打開した意外すぎる決断とは――。

 1991年、東京都大田区で生まれた。

 水泳、剣道、英会話にゴルフ。

 小さな頃から多くの習い事に取り組んだが、長続きはしなかった。

 「どれも人並みか、人並み以…

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