連載:沖縄戦がおしえてくれること(4)
5月のゴールデンウィーク、仲里利信さん(88)=沖縄県南風原(はえばる)町=は新聞に目を留めた。自民党の参院議員が那覇市内での講演で、「自分たちが納得できる歴史を作らないと」と語ったことが報じられていた。
沖縄戦について、ずいぶん勝手な主張をしている。「またか」。ため息をついた。
仲里さんにとって、80年前の沖縄戦の記憶は、ずしりと重いもの。「納得できる」かどうかではない。
当時は8歳。米軍の侵攻が間近に迫った1945年2月、母に連れられて沖縄本島北部に避難した。やがて米軍が上陸。北部にも艦砲射撃が撃ち込まれるようになった。
昼はガマ(自然洞窟)に隠れる日々。3歳の妹といとこは、暗闇を怖がって泣いた。
ある時、銃剣を持った日本兵が3人入ってきた。毒入りのおにぎりを母親に差し出し、言った。「食べさせろ」。子どもの泣き声で米軍に見つからないよう、殺せ、という意味だ。
祖母が食ってかかった。「なんで殺すか。死ぬときはみんな一緒、この子たちだけ殺すわけにはいかない」
一家はガマから追い出された。
1歳の弟を背負い、墓に隠れ…