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慰霊祭で式辞を述べる日立製作所の徳永俊昭社長=2025年6月10日、茨城県日立市、原田悠自撮影
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 雲一つない青空が突如黒煙に覆われ、街はあっという間に無残ながれきへと変わった――。

 第2次世界大戦終戦間際の1945年6月10日朝、軍需工業地帯だった茨城県日立市は大規模な空襲に見舞われた。

 約30分間、100機以上襲来したとされる米軍のB29爆撃機から、「1トン爆弾」が806発にわたり集中投下された。日立製作所の工場では634人が殉職。隣接地帯を合わせると約1200人が死亡した、とされている。

 同社日立事業所では、毎年6月10日を「戦災の日」として全従業員が黙禱(もくとう)をささげるとともに、幹部らが事業所内の防空壕(ごう)跡に建てられた「殉難の碑」を訪れるなどしている。

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