「軍事による平和」の論理が勢いを増し、沖縄戦の記憶が揺るがされる。戦後80年の「慰霊の日」の23日、人々はそれぞれの思いで手を合わせた。
国籍や軍人、民間人の区別なく24万人余りの犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」(糸満市摩文仁(まぶに))。八重瀬町の前森誠光さん(86)は、弟たちの名前を指でなぞった。
1945年、一家は米軍の上陸を知って沖縄本島北部に避難した。ガマ(自然洞窟)に逃げ込んだが、「ここは使う」と日本兵に追い出された。4歳と2歳の弟2人は衰弱し、立て続けに息絶えた。ぬかるむ水たまりを掘って埋葬した。
近くの穴でも、同じように力尽きた無数の子どもの死体を目にした。弟たちの遺骨は見つかっていない。
「軍がいるから住民は守られると思えない」
沖縄戦では、日本軍は崩壊し…