「次のロケットをつくる若いやつを探している」――。当時、宇宙開発事業団(NASDA)でH2ロケットの開発に携わっていた井元隆行さん(60)は、突然上司から声をかけられた。1994年、入社6年で、まだ29歳だった。
H2Aロケットとして最後となる50号機が29日午前1時半ごろ、種子島宇宙センター(鹿児島県)から打ち上げられます。30年前、初号機の開発を担った井元さんは「プレッシャーはものすごかった」と語ります。
「やります」。即答すると、上司から「わかった。ただしお前が最初から最後まで全部やれ」と返された。ロケット開発は一人でできるものではないが、「人に任せっきりにするな。すべての開発の工程を見るつもりでやれということだったのだろう」と振り返る。
その言葉通り、副主任という立場の開発部員だった井元さんは、日中は各部署との打ち合わせや相談、調整に時間を費やした。定時を過ぎてから、メーカーへの作業計画書をつくり、全体的な開発計画を検討するといった自身の仕事に没頭した。
ただ、「魔物が潜んでいる」と恐れられるロケット開発。H2AはH2の改良版といわれているが、開発は一筋縄ではいかなかった。ロケットは、燃料を送り込むパイプや弁、ポンプなどからなる複雑な機械だ。H2Aは、部品約100万点といわれる。
H2が連続失敗「何としても成功させないと」
最も難航したのは、H2Aの新型エンジン「LE-7A」の開発だ。地上試験で姿勢制御装置が破損するなどのトラブルが相次いだ。井元さんは「私の感覚ではH2Aは新型で、新規開発だった」と語った。
そんな中、H2が1998年、99年と2年連続で打ち上げに失敗した。この影響でH2は、最後の打ち上げ自体が見送られ、引退した。
「次はもう失敗できない。H2Aを何としても成功させないといけないというプレッシャーはものすごいものだった」
H2Aは想定外のトラブルを…