それぞれの最終楽章 余命1年と言われて(7)
看護師・朴明子さん
がんという病気になり、約7年前に「余命1年」と宣告されました。しかし、いまも生きています。それは多くの人の「支え」があったからだと思っています。
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まずは家族です。母はとても厳しい人でしたが、自らも肺がん、尿管がんを患いながら寄り添ってくれました。兄2人と妹も私の体調を常に気にしてくれています。息子と娘の存在も、どれほど力になったかわかりません。いとこやおじ・おばも、忙しい中、ずっと心配してくれています。
友人の存在も大きいです。たとえば連載1回目で紹介した女性誌「美ST」(光文社)が主催する「国民的美魔女コンテスト」で出会った仲間たちです。私が福島県郡山市の南東北がん陽子線治療センターに入院しているとき、千羽鶴とともに、メッセージが書かれたアルバムが届いたのです。光文社の編集部が、皆さんに声をかけてくれたそうです。
遠方まで会いにきてくれた仲…