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 第2次大戦中に空襲などの戦災に巻き込まれた民間人を救済するための法案は、今国会でも成立しなかった。日本はこれまで、旧軍人らに手厚い補償をしながら、市民には「被害の受忍(我慢)」を説いてきた。その姿勢をなお継続するのか。戦後80年が経とうとする今も解決を求める声は絶えない。

旧軍人らには延べ60兆円支給

 強い日差しが照りつける19日、国会前。「石破首相、決断を」。東京大空襲で親を失った元孤児らが民間戦争被害者の救済立法を求め、チラシを配っていた。4月には、沖縄戦の民間被害者、元シベリア抑留者らと一緒に銀座をパレードした。

 日中戦争以降の日本人戦没者310万人のうち、旧軍人軍属は230万人。民間人も80万人が犠牲になった。だが国の救済は、旧軍人軍属が中心だ。雇用した国の責任として、1952年の戦傷病者戦没者遺族等援護法、翌年の軍人恩給復活以来、総支給額は延べ60兆円に及ぶ。一方で民間被害者への補償は、原則ない。

 被害者が加害国に賠償を求めようにも、国は52年のサンフランシスコ講和条約で米国などへの請求権を放棄している。戦争中、防空法などで避難を禁じ、民間被害が拡大した経緯からも国の責任を問う声が絶えないが、要求に応じていない。

写真・図版
国会前で救済立法を訴える全国空襲連の人たち=2025年6月19日午後0時12分、東京・国会前、伊藤智章撮影

戦争という非常事態下

 空襲訴訟などで国側が主張し、判決でも認められてきたのが、「戦争被害受忍論」だ。「戦争という非常事態下の被害は国民が等しく我慢すべきだ」という理屈だ。

 背景の一つとして考えられるのが財政問題だ。国の再建や海外への賠償を抱え、その後も支出が膨らむことを懸念したとみられる。

 実は戦争中は戦時災害保護法(1942~46)があり、空襲による民間人のけがや死亡、家の全焼などに給付金を出していた。だが戦後、占領軍に停止させられ、それきりだ。明治初期に創設された軍人恩給などに比べ、急ごしらえの民間救済の制度は国民に定着しておらず、民間に目立った動きはなかった。

 国は実際は、少しずつ援護法の対象を広げている。動員学徒や防空従事者らは「国と雇用類似の関係」があったとした。沖縄戦では、弾薬輸送や集団自決など20項目に該当すれば「戦闘参加者」とした。引き揚げ者、被爆者、シベリア抑留者は特別立法で対応した。

声上がりにくかった空襲被害者

 だが、こぼれ落ちる人たちが…

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