【動画】甲子園も将来も~エースの手術、復活への日々~=大宮慎次朗撮影
健大高崎(群馬)が選抜高校野球大会に初出場して4強入りした2012年、青柳博文監督(53)は大きな「悔い」を残している。
チームは「機動破壊」のフレーズで鮮烈な印象を残した。エースは技巧派左腕の三木敬太さんだった。いずれも中4日以上、登板間隔は空けていたが、4試合中3試合で完投した。
5月の春季関東大会でも、三木さんは多くのイニングを投げた。監督は試合のたびに「大丈夫か?」と状態を確認したが、本人は「投げたい」と言った。決勝で完投して優勝した。球数が気になりつつ、その実力と思いにまかせた。
三木さんが肩の痛みを訴えたのは、その直後だった。左肩腱板(けんばん)の疲労骨折。約1カ月間投げずに過ごし、夏の群馬大会は救援に回った。エースが満足に投げられないチームは4回戦で敗れた。
青柳監督は関東大会での起用を悔やむ。「『投げたい』と言っても、止めるべきだった。無理をさせてしまった」
医師からの説明によると、三木さんは小中学生のころに左腕にけがをしたことがあり、その後遺症を抱えていたという。起用に配慮すべき投手だったのだ。
医師たずね、学んだ
以来、関節の可動域を広げる初動負荷トレーニングに力を入れ、練習の球数も管理するようになった。野球選手の障害に詳しい慶友整形外科病院(群馬県館林市)の古島弘三医師をたずね、知識を学んだ。
1人の投手に負担をかけないため、複数の投手が育つ仕組みも考えた。
週末の練習試合では3~4日前に登板予定を伝え、疲労度を調整させる。多くても100球程度で交代し、主力以外にも均等なイニングを投げさせる。登板後の2日間は投球を禁止し、休ませる。
また、投手全員を入学後すぐにメディカルチェックに連れて行く。ひじと肩をエコー検査して、故障歴を調べる。けがのリスクを持つ投手を把握するためだ。
その一人が、佐藤龍月(りゅうが)(3年)だった。入学直後から、左ひじに不安があった。
中学時代に15歳以下の日本代表に選ばれたこともある佐藤は、1年生の春から公式戦で投げた。昨春の選抜大会は2年生エースとして5試合22回を無失点と、圧巻の投球で初優勝に貢献した。
直後にあった春の群馬県大会ではベンチから外し、休養を優先した。
そうして迎えた夏の群馬大会…