この春、大阪府吹田市の千里山地区に新たな歴史の案内板ができた。江戸から明治の時代、米の相場を遠くへいち早く知らせる手段だった「旗振り」。そのリレーの最初の中継地の推定位置を示す。
案内板は市内の「五里山」と呼ばれる場所の公園に立てられた。その北側の私有地の丘はかつて標高83メートルあり、市内最高地点だった。そこが「旗振り」の中継地と推定されている。
丘から南に8.8キロ離れたところに、1730(享保15)年に徳川幕府が公認し、先物取引の起源の一つとも言われる大坂の「堂島米市場」があった。
帳面上で米を売買する「帳合米(ちょうあいまい)取引」などの相場は各都市に伝えられ、各地の米相場の基準になった。
その伝達方法が「旗振り通信」だった。大阪市編纂(へんさん)の「明治大正大阪市史 第5巻」によると、旗を円を描くように右に振れば十の位、左に振れば一の位を表す。「14円35銭」なら右に1回、左に4回振って右に返した後、右に3回、左に5回振って右に返すといった具合だ。
信号の受け手は望遠鏡で読み取り、自分が次の中継地へ向けて旗を振る。幕末に始まった千里山のルートでは、さらに現在の高槻市、島本町の中継地を経て、京都へ伝えられたという。
そんな歴史の一幕を担った場所を多くの人に知ってほしいと、地元の住民らが2023年から市教育委員会に要望し、そばにある垂水西原古墳の説明と合わせた案内板の設置が決まった。
要望の中心となった千里山まちづくり協議会の理事、島本恵司さん(83)は「旗振り通信の中継地があったことを後世に伝えてほしいという住民の思いは強かった。残すことができて良かった」と話す。
7月5日午後2時から、阪急千里山駅前のBiVi千里山コミュニティーセンターで、元教員で「旗振り山」(ナカニシヤ出版)の著書がある柴田昭彦さんの講演会がある。聴講料700円。申し込み不要で先着順。問い合わせは吹田郷土史研究会(06・6876・1593)。