80年前の6月29日、岡山市街地は米軍による空襲で焼き尽くされた。その様子を目の当たりにした当時11歳の少年が今、焼け野原に再建された岡山城を観光客に案内している。空襲体験も、忘れずに。
6月1日午前、本丸の石垣前。ボランティアガイドの大森哲也さん(91)の軽妙な案内が進んだ。「城主によって石垣のつくりに特徴がある」「(上から見ると)不等辺五角形で攻められにくい造り」――。京都からの母娘ら3人が聴き入っていると、さりげなく続けた。「天守閣は空襲で焼け落ちました」
焼けて赤く変色した石垣、焼け焦げながらも成長したエノキの木など、空襲の爪痕を次々と紹介していく。一帯が焦土と化し、焼け残った約2キロ先の岡山駅がはっきり見えたことも。「ガイドがなかったら知らずじまいだった」。3人は理解を深めた後、天守閣に入った。
1945年3月まで5年間、中国・上海で暮らした。仕事があった父を残し、家族5人で岡山に帰ってきた。混沌(こんとん)とした大陸とは一転、山河が美しいふるさとの風景に心を和ませた。あの日までは。
「あの日」風景が一転
6月29日未明、外が騒がし…