沖縄県うるま市(旧石川市)の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落し、児童ら17人が死亡、200人以上が重軽傷を負った事故から30日で66年が経った。同小で慰霊祭があり、遺族らは犠牲者を悼み、事故後も変わらぬ基地被害を語った。
NPO法人「石川・宮森630会」が主催し、約100人が参列した。
66年前の事故では、嘉手納基地(嘉手納町など)を飛び立った米軍機が住宅に墜落し、そのまま学校の校舎に突っ込んだ。遺族代表として献花した伊波秀子さん(88)は当時、自宅で母と一緒にいた。事故直後の記憶はなく、目覚めた病院で母の死を知った。
最近も、昨年11月に米軍ヘリが沖縄本島北端の国頭村で不時着し、今年5月には沖縄本島北部で同型機が重さ18キロのバッグを誤って落下させた。この日も式典中にたびたび、米軍機の轟音(ごうおん)が上空に響く。「飛行機が通るたびに、いつもどきどきしている。また落ちてこないか」と語った。
今年は戦後80年になるが、あいさつした会長の久高政治(まさはる)さん(77)は「戦争が終わっても沖縄は全然変わっていない。むしろ基地の重圧は増しているんじゃないか」。学徒隊を追悼する「ひめゆりの塔」について国会議員が「歴史の書き換え」などと発言して問題になった。久高さんは「社会そのものが変動していることにも関心を寄せながら、子どもたちに事故のことを伝えたい」と話した。