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語学の扉
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 元インドネシア駐在員尾崎賢悟さん(76)のインドネシア語との出会いは50年以上前にさかのぼります。英語などと比べると日本では学習者が少なく、市販の辞書の語彙(ごい)数は限られているなど苦労も多かったそうです。「日本では少数派」の言語をどうやって身につけたのか。尾崎さんに伺いました。

 ――まず、インドネシア語との出会いについて教えてください。

 大学の第二外国語で選択しました。どうせやるなら、人がやらない言葉をやったほうがよいと思って。インドネシア語はアルファベット表記です。発音もローマ字読みすればいいので、すんなり入れました。

 ――英語のように教材が充実していない言語ですが、どのように勉強したのですか。

 たしかに、教科書と、語彙数が限られた辞書しかありませんでした。大学に外国人が日本語を学ぶコースがあり、私は2年生になってから、そこに学びに来るインドネシア人にほとんど毎日話しかけました。単語を覚えると、「よし、今日はこの単語を使ってみよう」と。「語学は体で覚える」という感覚でした。単語帳を作ったり、単語を書いたりして覚えることはしていません。第二外国語は2年間が必修ですが、私はさらに2年間履修しました。

――なぜ4年間続けようと思ったのですか。

 インドネシア語を就職に生かしたかったからです。

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