今季、東京ヤクルトスワローズから6年ぶりに東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰した今野龍太投手(30)。宮城県立岩出山高時代の2013年夏、部員11人で臨んだ宮城大会でノーヒットノーラン(無安打無得点)を達成。自身の高校時代を振り返るとともに、球児たちにエールを送った。
高校時代は部員不足に悩む
――高校時代はどんな選手でしたか。
そんなにずば抜けていた選手でもなかったと思うので、まあ普通のレベルだったかなとは自分では思っています。
――チームの中ではどんな存在でしたか。
部員が少ない中で、ピッチャーをやってエースだったので、引っ張っていかないといけないというのは感じていました。
――3年夏の宮城大会にはノーヒットノーランを達成しました。どんな試合でしたか。
四死球がちょっと多くて、試合後のインタビューで初めてノーヒットノーランを達成したことに気づきました。投げている間は、本当に目の前の打者を抑えるのに必死になっていたので、試合後に「ノーヒットノーランでした」と言われたときは「ああ、そうでしたか」という感じでした。
――そもそも岩出山高に入ろうと思った理由は。
家が近かったからです。四つ上の兄も岩出山高に通っていて、そのときから部員が少ないというのも知っていて、試合にすぐ出られるかもという気持ちもありました。
――実際、高校に入ってからはどうでしたか。
夏の大会が終わり、3年生が引退すると、部員が足りなくて秋の大会も出場できないということが続いていたので大変でした。本当にもう9人とか10人前後しかいなかったので、夏出て、3年生が引退して、9人切っちゃって、練習試合は相手チームから借りて試合するという感じで。春に新入部員が入ってやっと人数が足りて試合に出られるという3年間でした。だから、春はとにかく部員集めに必死でした。
――そんな中、プロに行く決断のきっかけは。
やっぱりノーヒットノーランの試合が一番大きかったのかなと思います。それまでは、高校3年間は野球して、卒業後はどこかの企業に就職できればと考えていたので。プロ志望届を出すのは自由だったので、出すだけ出してみようかなと思いました。
――高校時代に教えてもらったことや言葉で今も大切にしていることは。
言葉というか、やっぱり、野球ができているのは当たり前ではないですし、感謝の気持ちは忘れないように、当時も今も大切にしています。
――誰に対する感謝ですか。
高校時代の恩師やスカウトの人たちがいたからこそ、プロになれたと思うので、感謝を忘れては駄目だと思っています。
――部活と、仕事として野球することの違いは。
部活は失敗が許されることもあるが、プロは生活がかかっているので失敗も許されない。他の選手の成績や生活もかかっているというのも大きいですね。
――プロに入り、一番苦しかった時期はいつですか。
(2015年に)ひざの半月板の手術をした時ですね。その時期のリハビリ期間が一番しんどかったです。
――どうやって乗り越えましたか。
この苦しい時期を乗り越えたらもう一回野球ができると思って、復帰したときのことを考えながら少しずつ頑張りました。
家族が心の支えに
――けがや戦力外通告も乗り越えて、活躍を続ける今野選手にとって、野球を続ける原動力は。
一番は家族のためです。5歳の男の子と3歳の女の子がいます(4月取材時点)。まだ小さいですが、自分のユニホームとか番号とかをわかってきているので、頑張らないといけないなとモチベーションが上がります。試合もたまに見に来るし、テレビでも見てくれています。
――今季、楽天に復帰しました。今の目標は。
前の6年間はチームに貢献できていなかったですし、また現役選手として戻ってこられるとは思っていなかった。こうして戻ってくることができたので、次はチームに貢献したい、今までと違った成績を出したいというのが一番ですかね。
――具体的には。
(これまで年間に投球した試合数の最多の)キャリアハイが64試合なので、それを超えたいというのはありますけど、最低でも50試合は投げたいですね。
――ご自身の時の高校野球と比べ、今の高校野球を見て感じることは。
レベルが上がってきているのかなと。ピッチャーのスピードもそうですし、今では150キロくらいが当たり前になってきている。
――部員が少ない中で頑張った高校3年間、プロ生活に生きている部分はありますか。
あると思いますね。(高校時代は)やっぱり苦しい時のほうが多かったので、だからこそ頑張ろうと思えました。負けず嫌いなので。
――高校野球をしている後輩たちにメッセージをお願いします。
高校野球の3年間はその時期しかできないので、しんどいこともあるかもしれないが、楽しく、あきらめず頑張ってほしいと思います。
今野投手のプロフィール
こんの・りゅうた 1995年5月11日生まれ。岩出山町(現・大崎市)出身。小学2年から野球を始め、岩出山中時代は軟式野球部に所属。宮城県岩出山高に進学し、2年春からエースとして活躍した。2013年にドラフト9位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団したが、19年オフに戦力外となり、東京ヤクルトスワローズへ。21年シーズンには勝ちパターンの一角を担い、自己最多の64試合に登板。防御率2.76(7勝1敗28ホールド)を記録し、20年ぶりの日本一に貢献した。今季から楽天に復帰し、初期の楽天時代の背番号「99」をひっくり返した「66」を背負う。「180度変わった姿をお見せできるように頑張っていきたい」。78センチ、86キロ、右投げ右打ち。